「見せられるのは、顔だけだから」
イラン女性が美容整形に託す“沈黙の自己主張”
ヒジャブ義務が課され、髪も身体も隠さなければならないイラン。そんな制限の中で、顔だけが“唯一見せられる場所”として、美容整形を選ぶ女性たちが急増している。宗教的にはタブーとされる整形が、今や国家が黙認する“自由の窓”となりつつある。
整えるという行為は、美の追求か、それとも抑圧への静かな抵抗か──。
年間25万件を超える整形手術、SNSにあふれるビフォーアフター写真。彼女たちは何を手放し、何を掴もうとしているのか。
この現象は、イランだけの問題ではない。
美とは、誰のためにあるのか?整形とは、何を変える手段なのか?
日本の美容医療にとっても他人事ではない、「顔を通じた自己表現の臨界点」が、いま世界で静かに進行している。

📌 ざっくりまとめると…
神に与えられた身体へのメス、それでも整える理由とは?
イランでは本来、美容整形は宗教上の禁忌に近い。イスラム教の教義では、「神から授かった身体に手を加えること」が戒めとされてきた。だが、2014年に最高指導者ハメネイ師が「重大な影響を及ぼさない限り整形は禁じられない」とのファトワ(宗教見解)を出し、事実上の黙認状態が続いている。
都市部を歩けば、鼻にガーゼを貼った女性を一日に何人も見かけるという。年間25万件以上に及ぶ整形の多くは鼻整形で、平均約7万円。SNSには、術前・術後の比較広告があふれ、医療ツーリズムの対象としても注目を集めている。

ヒジャブの下で、唯一“見せられる”顔って?
髪、首、身体の露出が法的に制限される中、唯一「見せられる」のが顔。その“最後の自由領域”に対して、美を整えることが自己表現の手段として根付いた。女性たちは「なぜ手術をしないのか」と周囲から問われ、「自信が湧いた」「もっと早く整えればよかった」と口をそろえる。
整えることが、美しくなること以上の意味を持ち始めている。それは“整える自由”を社会の中で守ることでもある。