PROLOGUE
3歳から抱えてきた持病が、19歳で牙をむいた。全身の皮膚は火傷のように爛れ、厚く硬くなっていく。掻き壊した肌は、朝には血と体液でシャツに貼りつく。歩くことさえままならず、人の目を避けて部屋に閉じこもった一年。
その痛みの底で掴んだ一つの確信が、看護師を志させ、海を渡らせ、やがて「健康と美をつなぐ情報」という仕事へと彼を導いていく。——安達健一(2026年取材時、42歳)。何物にも染まらないメディア〈NERO〉を率いる人物の、これは半生の記録である。
CONTENTS
目次
- 01美とは、自分らしく生きることOn Beauty
- 0219歳の大病と、人生の転機The Turning Point — Age 19
- 03福祉から看護へ、学び直して進んだ道Learning Again
- 04アメリカで見つめた、予防とセルフケアPrevention — America
- 05美容と健康をつなぐ情報インフラへThe Infrastructure of Information
- 06人を受け止める姿勢と、祖母から受け継いだまなざしThe Way of Listening
- 07自分を整える暮らし、家族、自然、ユーモアA Life in Tune
- 08「この情報があってよかった」と思える社会へFor a Better Choice
- 09健康と世の中を結ぶために生きるA Life That Connects
01
ON BEAUTY
美とは、
自分らしく生きること
「美とは、自分を前向きにしてくれるもの——それ以上に、生き方そのものだと思っています。単に美しいだけではなく、自分が自分らしくあれるかどうか。結局は、そこが自分の美を支えているのではないかと。」
「昨今、『自分とは何なのか』と悩む人は多い。美というツールを通じて、外見のコンプレックスを補おうとする一面もあると思います。けれど、一見そうしたものがない人でも、輝いている人はいくらでもいる。」
「だから僕にとっての美とは、その人の生きざまを支えてくれる一つのもの。究極は、やはり自分らしくいられること。その部分こそが、本当の意味なのだと思っています。」
究極は、自分らしく
いられること。
02
THE TURNING POINT — AGE 19
19歳の大病と、
人生の転機
人生を一変させた出来事
「19歳のとき、人生が一変する出来事がありました。実は3歳から、ずっと付き合ってきた持病があったんです。それまでは冬に少し悪くなる程度だったのが、19歳で一気に悪化した。首から下のすべてに、季節を問わず症状が出るようになりました。」
「ひどくなると、着ているTシャツが肌にくっつく。眠っている間に全身を掻き壊し、毎朝起きると手は血だらけ。体液が乾いてシャツに貼りつき、それを剥がすたびに皮膚ごと持っていかれる。火傷のように皮膚が剥がれ、全身が厚く硬い皮膚に覆われていく。脚の痛みで、まともに歩くことさえできなかった。一年間、ほとんど家から出られない生活でした。」
「助けて」と言えなかった孤独
「高校受験はすべて失敗し、行けたのは定時制。学費も自分で払う、親からも突き放されたような状況でした。強がっていた自分もいて、周りに『助けて』と言えなかった。どこにも遊びに行けず、一年間、引きこもりのようになりました。バイト先のガソリンスタンドでは、皮膚がボロボロで走れず、いつも『足が悪そうだね』と言われていた。」
あなたが歩くと、いつも何か汚れる。
——でも、元気ないけど、大丈夫?
祖母だけは、見捨てなかった
「全身の皮膚がゾンビのように剥がれ落ちる。歩くたびにズボンから白い粉が落ちるのが嫌で、夏でもタイツを履き、その上に靴下を重ね、皮膚がこぼれないようにして過ごしていました。そんなある日、家族の中でも会話のなかった祖母が『最近ちょっと元気なさそうだね』と声をかけてくれた。その一言が染みて、初めて『今こんなことで悩んでいる』と素直になれたんです。」
「それを聞いた祖母は、僕の目の前で母を叱りました。『我が子がこんなに辛いのに、なぜ声をかけてやれないんだ』と。かばってくれる姿を見て、母にも悪いことをしてしまったな、と思いました。」
待合室で、母と初めて腹を割った
「保健室の先生が、地元でも名の知れたある大学病院に、皮膚科の有名な教授がいると覚えていてくれた。祖母が母を叱る光景を見た瞬間、それが頭に浮かんで『そこに行きたい』と。翌週にはもう受診していました。診察で裸になると、母は絶句した。ドクターは『こんな姿でよく一年我慢したね。痛かったでしょう』と言い、その場で緊急入院が決まりました。」
「待合室で、母と初めて腹を割って話した。19歳の多感な時期に、恋愛も遊びもできなかった。でも、それができなかったことは、むしろ守られたことなのかもしれない——そう初めて口にしたのを、よく覚えています。」
形はどうであれ、格好はどうであれ、
自分らしく振る舞えることが、
一番美しいんじゃないか。
隣のベッドの、明るく強い人
「入院先の隣の患者も、顔まで症状が出て、全身の皮膚が厚く硬くなった、僕以上に重い人でした。でも、お見舞いに来た友達の前で、その人はめちゃくちゃ明るかった。『心配すんなよ、昔からあったじゃん』と。なぜあんな状態で、あんなに明るくいられるのか。見た目が悪くて恥ずかしいと思い込んでいた僕には、なんて強い人なんだと映りました。それが、自分の芯になる一つのヒントでした。」
夜が怖かった日々、そして回復
「寝ると掻き壊して朝を迎えるので、眠るのが怖かった。綿の手袋にビニールを重ね、ゴム手袋で手首を縛っても、寝ている間に全部外してしまう。ドクターに聞くと、人はかゆみを痛みより我慢できない生き物なのだと。それで納得しました。」
「その先生は、ステロイドを正しく使えばコントロールできるという考えでした。重症度に応じて濃度を管理し、『かゆくならない環境をどう作るか』を徹底する。入浴後、湿った肌に油で蓋をして水分を逃さない——そんなきめ細やかなケアで、あれほど悩んだ症状が二週間で治まったんです。」
※ 個人の経験であり、治療効果を保証するものではありません。
「主治医の『自分の病気は自分で勉強しなさい』という一言が、深く刺さりました。これだけ痛みを経験したのなら、その分、人に何かを施せないか。人のために生きたい——看護師への道は、ここから始まります。」
03
LEARNING AGAIN
福祉から看護へ、
学び直して進んだ道
20歳から、中学生と並んで学び直す
「看護師になる前、僕は福祉の世界にいました。一般的な教養がなかったので、20歳から中学生に混じって塾に通い出すんです。まずはヘルパーとして福祉の短大へ。でも、自分で学べばもっと人を助けられる可能性が広がるかもしれない——その思いが強くなっていきました。」
「当時7年ほど付き合っていた彼女が看護師で、その姿に憧れました。人のために働く姿が、格好いいなと。医者は難しくても、因数分解からやり直せば看護師になれるかもしれない。20歳から、そう挑戦を始めました。」
学はないけれど、
人のために何かしたい。
現場で見た、病に苦しむ人の多さ
「国家資格に受かるまでも大変でしたが、現場に出てまず思ったのは『こんなに病気の人がいるのか』ということでした。一歩外に出れば元気な人ばかりなのに、病院の中には本当に苦しんでいる人たちがいっぱいいる。現場は、いつも騒然としていました。」
疲弊していく現場で
「現場では、毎日のように怒られていました。人間関係にも悩んだし、正直、辞めたいと思った夜は数えきれない。でも、あるとき気づいたんです。悪いのは人ではなく、仕組みのほうなんじゃないかと。」
「厳しかった先輩看護師も、昼休みに一緒にごはんを食べてみると、実はすごくいい人だったりする。みんな、最初から嫌な人だったわけじゃない。古い仕組みの中で心がすり減って、少しずつ余裕をなくしていく。そんな現場に、ずっと違和感を抱えていました。」
看護は本来、もっと自由で、可能性を広げられる、かっこいい仕事のはずだ。
日本の看護への違和感、そして海外へ
「世界に目を向けると、まったく違う景色が広がっていました。日本では看護師の裁量が細かく決められている一方、海外では縫合や簡単な薬の処方、診断まで担える。看護師の可能性を最大限に開く仕組みがあったんです。」
「転機は、大学病院に勤めて3年目を迎える頃でした。世界を舞台に活躍する、ある看護師との出会い。その人の話を聞いたとき、自分の中でくすぶっていたものに、はっきりと名前がついた気がしました。日本の看護を少しでも良くしたい。そのために、まず自分が外の世界を見に行こうと。」
「20代後半、海外への挑戦を決めます。独学でフィリピンに学び、やがてアメリカの大学へと進んでいきました。」
04
PREVENTION — AMERICA
アメリカで見つめた、
予防とセルフケア
多様な文化の中で出会った仲間たち — Los Angeles
自分の健康は、自分で守る
「アメリカで一番驚いたのは、皆保険という仕組みがないぶん、自分の健康は自分で守らなければならないという文化でした。ドラッグストアにはサプリメントが溢れ、自分で買えるOTCの薬も種類が豊富。その光景は、とても衝撃的でした。」
「病気にならない体」という仕事との出会い
「現地で仕事を探す中で、『いかに病気にならない体を作るか』に取り組む友人に出会います。もともと体が強くなかった自分にとって、予防やセルフケアという発想は強く響きました。看護でキャリアを積むか、病気を作らせないほうへ進むか——二つの関心が並び立っていきます。」
「そうして帰国後に選んだ就職先が、まさに『病気をどう作らないか』を扱う会社でした。」
05
THE INFRASTRUCTURE OF INFORMATION
美容と健康をつなぐ
情報インフラへ
「帰国後の仕事で強く感じたのは、末端で悩んでいる患者やユーザーほど、検索を重ねてようやく情報にたどり着く、という現象でした。風邪で町医者へ行くのとは違う。なかなか治らず本当に悩んでいる人たちが、『検索して検索して、たまたまこの情報を見つけた』と話してくれる。欲しい情報にたどり着くまでの距離が、あまりにも長いんです。」
「一方で、医師の側も、自分の治療哲学や信念をなかなか伝えられない。紹介や口コミでしか届かない。この両方を結ぶ情報のインフラができたら——そう思うようになりました。」
本当に悩む人ほど、
情報にたどり着けない。
健康と美容は、ものすごく近い
「仕事をするうちに、健康と美容はとても近しいものだと感じました。美容には、自分を前向きにするだけでなく、その状態を『維持したい』と思わせる力がある。睡眠も食事も、『これで肌が悪くなる』と言われれば避けたくなる。それはすごい力だと思うんです。美容、ひいては健康。その在り方をつなぐインフラをつくりたいと、ぼんやり思っていました。」
医師の信念と、ユーザーの課題を結ぶ
「今の仕事は、本当に楽しい。『この先生はこんな信念で治療に向き合っている』と分かること。そして、WEB上でしか見えないユーザーの課題があること。検索ワードに込められた意図を読み解くと、その人の抱える物語が見えてくる。認知度だけでなくリテラシーをどう上げるか。あるいは、上がらなくても最短で情報を選べる世界をどう作るか。それが、いまの僕らの課題です。」
美容は、ライフスタイルの一部へ
「美容と言っても、美容外科から皮膚科、婦人科、歯科、さらには内面的な美容まで幅広い。いまは『ロンジェビティ(健康寿命の延伸)』という考え方も広がっている。外見を変えることや整形だけが美容ではなく、ライフスタイルの一部として暮らしに組み込まれていく——そんな時代になってきていると感じます。」
06
THE WAY OF LISTENING
人を受け止める姿勢と、
祖母から受け継いだまなざし
相手が何を大事にしているかを知る
「まずは、相手をよく知ること。何を大事にし、一番何をしてほしいか、理解してほしいか。そこはとても大切にします。良し悪しの二元論ではなく、その人そのものを、まずちゃんと受け止める。医者でも患者でも、一般の方でも平等です。仕事でもプライベートでも、それは変わりません。」
「僕が一貫して『自分らしくあれること』を大事にしているからこそ、相手にも相手らしく、自分らしくいてほしい。そういう姿勢が、そのままヒアリングになっている気がします。もともと、人が好きなんでしょうね。」
その人そのものを、
まず受け止める。
社会の壁を越えて、人を家族のように
「幼少期、祖母は社会貢献の意識がとても強い人でした。障がいなどの事情で、社会に出る機会を得にくかった人たちを、『うちで住み込みで働きなよ』と積極的に迎え入れていた。気づけば家には住み込みのお姉ちゃんがいて、一生懸命に掃除をしていました。」
「家族との縁がなかったり、社会的にさまざまな壁を抱えた人たちを、祖母は家族同然に受け入れ、その輪の中で社会へ送り出そうとしていた。だから僕は幼い頃から、家族以外の人と深く関わる環境で育ちました。人に神経を使うことに、あまりストレスを感じないんです。」
情報を選び、自分を整えていく
「発信する側にいると、膨大な情報が入ってくる。教養が高まる感覚があるし、何より『選択できる』ようになる。これだけがいい、これは悪い、と決めつけず、自分の中で心地いいものを見つけて大事にする。それが自分に合うか、合わないか——その判断が、自分を整えていくことにつながっています。」
07
A LIFE IN TUNE
自分を整える暮らし、
家族、自然、ユーモア
心の健康と、動ける体
「僕は、心の健康や豊かさを大事にしています。朝、緑を感じ、風を感じ、四季を感じてランニングやウォーキングをする。40歳を過ぎると体は下降気味になるので、ある程度の負荷をかけないと進化しない。自分らしくいられる形で、動ける体でいることを心がけています。」
腸内環境を「飼育」する感覚
「食事は、寝る三時間前までには入れないようにしています。タンパク質や食物繊維、そして特に大事にしているのが腸内環境。自分の腸の細菌を育て、飼育しているようなイメージです。菌の機嫌が悪いとイライラするし、調子がいいと本当に絶好調。ただ、考えすぎるとそれ自体がストレスになる。だから、自分に合った心地よさを大事にした食生活でありたいんです。」
演じすぎない。家族と、新しい道を
「見せなきゃ」「演じなきゃ」が仕事では避けられない。でも、それがプライベートにまで及ぶと、自分が自分らしくなくなってしまう。だからオフでは、家族との時間をとても大事にしています。新しいことが好きで、散歩でもいつもと違う道を選ぶ。夫婦でも家族でも、毎週どこか新しい場所へ出かけ、いろんな角度から発見をする。極力お金は使わず、自然の中で——それが僕のテーマです。
自然と一緒にいて、家族を楽しむ。
それが、今の大きな趣味です。
冗談ばかりの、素の自分
「オフは本当に冗談ばかり。子どもを背中に乗せて腕立て伏せをしたり、アスレチック代わりにされたり。妻とも冗談ばかり言っています。カチッとしているほうが『らしくない』と言われるくらい。娘も突拍子もないことをする、おちゃめな性格。全身スパイダーマンのスーツを着てパパママ会へ行き、妻は顔をカボチャに塗って町を歩く。そんな家族です。」
08
FOR A BETTER CHOICE
「この情報があってよかった」
と思える社会へ

どうありたいかを、問い続ける
「自分らしく生きるとは、自分の心に正直に問い続けることだと思います。『したいこと』だけをしていても、できることは増えないし、求められることも増えない。だけど『自分はどうありたいか』。そこを問い続けることが、自分の中の自分らしさの原点なのだと思います。」
「この情報があって
よかった」と思ってほしい。
いい情報を選べる世界を
「この情報で助かった、いい選択ができた——そう思ってもらいたい。それをきっかけに、その人自身の『らしさ』が少しでも伝わればいい。幸せは人それぞれですから。健康や美容が、表面ではなく人生そのものを心身ともに豊かにするものなのだ、というリテラシーを、これから上げていきたいと思っています。」
「緊急度の高い悩みを抱えた人ほど、早く情報が欲しい。だから、そういう人が一番恩恵を受ける。同時に、本当に来てほしい患者に届けたいドクターにも届く。深い情報を通して、まず安心してもらいたい。それが、僕らのいちばんの願いです。」

09
A LIFE THAT CONNECTS
健康と世の中を
結ぶために生きる
50代が、本番
「これまでたくさんの人に助けられ、苦しい経験もしてきた。その分、もっと社会に貢献できる人でありたい。2026年の取材時点で42歳。20代、30代、40代ときて、本当の本番は50代だと思っています。10年後、いまよりさらに貢献できる人材になっていたい。そして、自分だけの力ではなく、いろんな人の力を借りながら、みんなで成し遂げられる世界を作れたらいい。」
言葉の人。でも、根っこは
「自分がどんな人間か。正直、決して器用なほうではないと思っています。ただ、昔から言葉で人に何かを伝えるのは得意で、家族にも『あなたは言葉で人を動かせるね』と言われてきました。それでも根っこは、人の役に立ちたいと思っているんです。」
健一 = 健康第一
「健一という名前は、健康第一。生きる、死ぬというサイクルは、健康でなければ続けられない。だからズバリ、自分の健康そのものを世の中の健康と結び、それでお役に立てること。自分はそのために生きていると言っても過言ではありません。自分のためだけに生きると、つまらない。誰かの役に立てたと感じたとき、初めて自分らしく生きていると思える。それが、僕が生きている意味なのだと思います。」
自分の健康を、
世の中の健康と結ぶ。

EPILOGUE — THE NAME
NERO
何物にも染まらない
NERO とは、イタリア語で「黒」。情報だからこそ、中立性と公平性を持ちたい。黒は、何にも染まらない。だから、何物にも染まらないように——その意志を、この名に込めました。
PROFILE
安達 健一(あだち けんいち)
株式会社RADIEN 代表取締役/美容医療メディア NERO編集長。日本・米国看護師(BSN)・MBA。
The Unstained Path / 何物にも染まらない道 — Interview / 全9章(2026年取材)

















