【New Column】ヒトは死ぬように設計されていない──ノーベル賞学者が語る“老化”の本質

NEROが美容・健康医療に関する注目のTOPICSをとりまとめ!


ミラノ長寿サミット2025で語られた「進化と死」の新解釈

イタリア・ミラノで開催された世界有数の長寿科学イベント「ミラノ長寿サミット」にて、ノーベル化学賞を受賞した構造生物学者ヴェンカトラマン・ラマクリシュナン氏が登壇。「なぜ人は老い、そして死ぬのか」という根源的な問いに、科学的かつ哲学的視座で答えを提示した。
人は死ぬようにプログラムされているわけではない──この衝撃的な言葉から見えてきたのは、「老い」と「死」に対するこれまでの常識の再定義である。NEROではその講演をもとに、“より良く老いる”ための科学的ヒントと、日本市場に求められる次の視点を考察する。
老化のメカニズムは、ただの細胞の摩耗ではなく、資源配分の最適化による進化的帰結である──。永遠の命に惹かれる現代人に、科学はどこまで答えを出せるのか。疑似科学と商業主義の狭間で揺れる「アンチエイジング」の幻想を、科学者の冷静な眼差しが切り裂く。

“死”の科学と“より良く老いる”という選択肢の狭間に、今こそ向き合う時が来ている。

📌 3つのポイント

「死」は進化の副産物であって、遺伝子に組み込まれたものではない
老化は“摩耗”ではなく、資源配分という進化戦略の結果
「不老」ビジネスが乱立する中、科学的根拠のある老化理解が不可欠に

🧠 なぜ人は死ぬのか

― 生物学者ラマクリシュナンが突きつけた「死」の再定義

「死とは、個体が全体として機能する能力を不可逆的に失った状態である」──そう語るのは、ノーベル化学賞受賞者であり、構造生物学の第一人者ヴェンカトラマン・ラマクリシュナンである。

彼は、イタリアで開催された「ミラノ長寿サミット」に登壇し、死を“生物的な必然”とみなす世間の常識に一石を投じた。人間は死ぬようにプログラムされているわけではない。進化は、個体の寿命に関心を持たない。ただ“遺伝子の伝播”だけを選んでいる。

これは、生存そのものよりも「再生産」の成功が重視される進化論的事実を裏付けるものだ。

生殖優先の進化論が、老化の鍵を握っていた

ラマクリシュナンは、死を「個体が機能を取り戻せない状態」と定義し、死そのものは生物的にプログラムされたものではなく、再生産を最優先する進化の結果に過ぎないと断じる。

進化は、我々がどれだけ長く生きるかに関心を持たない。「長く生きる」よりも「早く繁殖し、遺伝子を残す」ことこそが、生物が選択してきた戦略なのだ。これは日本の美容医療業界が抱く「老化=劣化」という観念にも一石を投じる。

🔬 老化の正体は“細胞の摩耗”ではなかった

― 寿命を決めるのは、生き残りのための資源配分の戦略

ラマクリシュナンによれば、老化とは単に細胞が使い古されていくことではない。むしろ、生殖や成長に集中した資源配分が、長期的には修復能力を蝕むことによる自然な代償なのだ

この考えは、老化を「不幸な副産物」ではなく、「進化的戦略の結果」として捉えるパラダイムシフトをもたらす。

また、寿命が種ごとに異なる理由もここにある。イモムシからマウス、ヒトに至るまで、生物ごとに“いつまで修復を続けるか”の設定が異なるというだけなのだ

老化とは「修復の打ち切り」である

ラマクリシュナンの考えでは、老化とは細胞の劣化ではなく、リソース配分における戦略的撤退である。生物は生殖を終えた段階で、修復の優先順位を下げる。この「修復の打ち切り」が、身体機能の低下、すなわち老化として現れる。

たとえば人間が70歳以降も生きるのは“奇跡”ではなく、社会・医療環境が延命を可能にした副産物にすぎない。これを前提に、日本でも「老化を消す」のではなく、「老化にどう備えるか」が美容医療の指針となるべきである。

🧪 “不老ビジネス”の光と闇

― 根拠なき希望と科学の倫理が交錯する場所

「永遠の命」を謳う商品や施術の多くは、科学的裏付けがない。ラマクリシュナンは、そのような「疑似科学」に惑わされる大衆心理を、恐れと欲望の産物と看破する。

たしかに、遺伝子編集や若返り細胞、セノリティクスといった革新技術が注目を集めているが、「それらはまだ“希望的観測”の域を出ていない」。彼はあくまで科学の視座に立ち、「老いは必然ではあるが、社会のあり方次第で“より良く迎える”ことは可能だ」と語る

✒️ 編集長ポイント

― 科学の先にある“より良き老い”の未来へ

ラマクリシュナンの示した最大の示唆は、「老化=敗北」ではないという科学的視点である。死を恐れるあまり、“不老神話”に飛びつく現代社会。その裏で、科学の名を借りた商業主義が跋扈している現実がある。

美容医療やアンチエイジング産業が進化を遂げる中でも、「長生きできるから幸せ」ではなく、「どう老いるか」「どう生きるか」が問われるべき時代に突入している。

“老化=悪”という前提からの脱却を

ラマクリシュナンが提起した本質的な問い――「老いるとはどういうことか」「それは本当に避けるべきことなのか」。この視座こそ、日本の美容医療に欠けていた部分である。

不老神話に惑わされることなく、「より良く老いる」ことを支援する医療が、これからの美容・健康分野の中心軸になっていく。寿命を延ばす技術以上に、老いを受け入れ、尊厳ある生き方を支える知の探求が必要だ。

✅ まとめ

1.死は遺伝子に組み込まれた“運命”ではない
2.老化は摩耗ではなく、資源の戦略的配分による進化の帰結
3.永遠の命は、進化の視点からは意味を持たない
4.「不老ビジネス」は科学よりも商業主義が主導
5.“長く生きる”ではなく“よりよく老いる”視点が鍵
6.日本の美容医療は、“老いとの共生”を主軸にすべき局面に入った

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